札幌高等裁判所 昭和62年(う)83号 判決
論旨は,要するに,被告人が長年行ってきた株式取引・商品先物取引は所得税法上の事業であり,そこから発生する所得は事業所得であって,本件起訴にかかる各年度に発生した損失をそれぞれ損益通算すれば各年度ともほ脱の結果は生じていないのに,原判決は,被告人の株式取引・商品先物取引は事業ではないと認定したもので,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認もしくは法令適用の誤りがあり,また原判決は,右のように事業でないとした判断過程において理由不備あるいは理由そごの誤りを犯している,というのである。
そこで,検討してみるのに,関係証拠によれば,被告人は,かねてから株式の信用取引(原則として,買付けを先にし,後にこれを売り戻している。)を行っており,昭和55年ころ以降は常時1億円を越す程度の信用保証金を差し入れたうえ,昭和56年には,そのころ88回にわたり代金合計29億0667万5000円で買入れた株式合計440万7000株を,89回にわたり代金合計28億0752万9000円で売却して,2億0167万6976円の損失を出し,昭和57年には,そのころ47回にわたり代金合計9億3820万9000円で買い入れた株式合計197万8000株を,69回にわたり代金合計9億5492万4000円で売却して,1851万1089円の損失を出し,昭和58年には,そのころ39回にわたり代金合計10億8617万8200円で買入れた株式合計237万3200株を,56回にわたり代金合計11億5822万7000円で売却して,2614万1480円の利益を得,また昭和57年からは商品の先物取引も始め,昭和57年には売買回数19回,合計105枚(約定値段約13億円)の商品先物取引をして8457万5275円の損失を出し,昭和58年には売買回数36回,合計166枚(約定値段約21億円)の商品先物取引をして7201万6641円の損失を出した(以上を合計すると,昭和56年は2億0167万6976円,昭和57年は1億0308万6364円,昭和58年は4587万5161円の各損失になる。)ことが認められる。ところで,右株式及び商品取引の各取引(以下「株式等の取引」という。)による損失及び利益が所得税法上事業から生じたものといえるためには,右株式等の取引が同法27条1項を受けた同法施行令63条12号にいう「対価を得て継続的に行なう事業」として行われたことを要するところ,株式等の取引がこれに該当すると,認められるためには,当該株式等の取引が営利を目的として反復継続して行われることを要するほか,相当程度の期間継続して安定した収益をあげうるなど社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行われていることが必要であると解するのが相当である。
そこで,このような観点に立って本件株式等の取引をみてみるに,原判決が,「弁護人の主張に対する判断」の項の一の1において,「被告人は,病院の院長を務める医師であるが,かねて株式取引等に興味を持ち,医業の傍ら自ら株式取引を行っており,その取引形態も昭和54年ころ以後はほぼ全面的に信用取引で,同57年からは商品先物取引も行うようになり,本件当時(商品先物取引については同57年以後)も継続的に多数回にわたって株式及び商品先物取引を行っており,その取引ごとの取引株(ロ)数も多く,被告人が行っていた取引は相当大規模なものであったと評価でき,右取引のため被告人は,証券会社の営業員等から提供される情報のほか,関係の業界誌,雑誌,一般書籍等を読んで情報を収集,研究するなどし,取引に当たってはこれらに基づいておおむね自らの判断で売買の指示をし,また海外商品の先物取引では市場の時差の関係で,市場の動向を聴きつつ取引の指示を出すために深夜まで業者の営業員と電話連絡を取り合うなど,被告人がこれらの取引に費やした精力も軽視し難いものであ(る。)」と認定した事実は,関係証拠に照らし十分肯認できるところ,更に関係証拠によれば,被告人は,昭和35年以来(ただし,昭和48年度を除く。)継続して株式取引を行っていたが,昭和47年12月に竣工した病院の建物の改築あるいは補修の費用,更にいわゆるロボトミー(前頭葉白質切截術)訴訟(第一審で元利約6000万円の支払を命じられていた。)の控訴審における対策費や右病院に医師を招聘するための費用として約10億円を捻出するために本件株式等の取引により利殖を企図したこと,前記のような株式等の売買回数,売買した株式等の数量・金額,取引期間等に徴すれば,本件株式等の取引が営利を目的として反復継続して,しかも多数回にわたり大量に行われたものであることは肯定することができる。
しかし,他方,関係証拠によれば,
(1) 被告人は,昭和48年1月精神科及び内科の病院として病院を開設し,自ら管理者(院長)に就任したが,本件当時においては特に支障がない限り毎日病院に出勤し,ペット数2百数十床,常勤・非常勤の医師数名,看護婦,薬剤師,栄養士その他の職員合計60数名くらいの大きな規模の同病院の開設者兼管理者(院長)として,病院事業の経営に当たるとともに,その業務全般を統括掌理し,構造設備の安全保持,医師の招聘確保,職員の人事管理,事務・経理等の書類の決裁,支払小切手の振出などの業務に従事していたこと,そして被告人は,株式等の取引につき相当程度の知識と経験を有し,その取引のためにかなりの時間を割き精力を注いでいたが,しかしそれも,当然のこととはいえ,本業である右のような院長としての業務(ただし,患者の診療行為については,本件当時特段の事情がない限り他の医師に任せていた。)に支障を来さない程度と範囲にとどまっていたこと
(2) 被告人は,病院の院長私室や昭和45年以来男女の仲にあったA女の居宅を本件株式等の取引のために利用してはいたものの,右各室には株式等の取引施設であることを示す表示などなく,また,株式等の取引のために,他に特定の事務所を設けたりしたこともなかったこと
(3) 被告人は,本来の仕事を持っている病院の職員や同病院の外勤職員であるA女に株式等の取引にかかる雑務的な手伝いをさせてはいたものの,株式等の取引のために,従業員を特別に雇用したり,あるいは専門的な知識と経験を有する専門家を雇用したりしたことはなかったこと
(4) 被告人は,株式等の取引につき所得税法229条に基づく開業の届出をしていないうえ,当該取引にかかる帳簿等の作成も一切したことがなく,またその取引によって多額の利益を得た年にも,また多額の損失を出した年にも,これを所得あるいは損失として税務申告をした事実はなかったこと
(5) 被告人及びその家族の生計の資は,もっぱら病院の経営による事業上の収益(妻に対する専従者給与を含む。)によっており,株式等の取引の収益はこれに当てられていなかったこと
(6) 被告人は,昭和53年度に株式取引により約2億8000万円の利益をあげて,昭和54年4月,当時手元にあった右の利益金を含む約3億2000万円の大部分を新たに開設した架空人名義,他人名義の取引口座に分散し,更に被告人は,同年春ころから病院の経営に関し,医薬品販売業者B男との間で医薬品の架空取引(ペーパー取引)を行うようになり,当初のうちは右B男が実際に病院から支払を受けた代金相当分から約12パーセントの手数料を差し引いた残額を被告人の妻を通して現金で返戻してきていたが,昭和55年3月中旬ころからは右B男が右残額を原則として被告人の開設した仮名預金口座に振り込む形で返戻することになり,その結果被告人は,昭和56年から昭和58年までの間毎年合計4千数百万円から5千万円に近い可処分の隠し所得を得,もっぱら以上の隠し資産と隠し所得を株式取引や商品先物取引(昭和57年以降)の資金に当てていたものであること
以上の事実が認められ,他に右認定を左右するにたりる証拠はない。
更に,株式の信用取引や商品先物取引が,株価や相場の間断のない変動を利用して売買差益を稼ごうとするものであることは公知の事実であるから,右各取引が極めて投機性の強いものであるうえ,取引委託の手数料や信用供与に対する金利(品貸料)等受託者に支払うべき多額の経費負担を必要とし,相当程度の期間継続して安定した収益をあげうる可能性が極めて低い(このことは,被告人の検察官に対する各供述調書等関係証拠によっても明らかなように,被告人は昭和35年以来(商品先物取引は昭和57年以降)株式等の取引を行っているが,昭和53年から昭和58年までの期間に限定すると,年間を通じて利益をあげたのは昭和53年の1年にしかすぎず(なお,株式取引だけに限定すると昭和58年にも利益をあげている。),他の年はいずれも多額の損失を出していることによっても合理的に推認することができる。)ことは明らかである。
以上のような諸事実を総合して判断すると,本件株式等の取引が営利を目的として反復継続して,しかも多数回にわたり大量に行われたものであることは前記のとおりこれを肯定することができるが,被告人は,前記病院の開設者兼管理者(院長)を本業とし,同病院の経営,管理に従事し,生計の資をもっぱらその収益によって得るかたわら,昭和53年の株式の信用取引などにより得た前記隠し資産のほか,医薬品の架空取引により捻出した隠し所得を資金に用い,その投機的運用の方法として株式等の取引を行っていたものであり,その取引をくり返すことにより相当程度の期間継続して安定した収益をあげうる可能性などなく,また,特にそのための物的組織や人的組織を備えたということもなく,したがって,回収を必要とする投下資本もなければ,人員整理の必要もなく,その意味でいつでも自由かつ簡単に取引の継続を終了させることも可能であったこと,すなわち,被告人個人の投機的な利殖活動が証券会社等の客として大規模にくり返されていたにすぎず,そこから利益が生じたとしても機会的であり,他に社会的実在性はなかったこと等に徴すると,本件株式等の取引は,,諸論指摘の諸点(なるほど,当審における事実取調べの結果をも併せると,被告人は患者の診療行為に関しては特段の事情のない限り他の医師に任せていたことが認められ,この点原判決には事実の誤認があるけれども,この誤認は結論に影響しない。)を考慮に入れても,社会通念上事業と認められるだけの形態及び実質を具備したもとで行われていたとは認めることができない。してみれば,原判決が,被告人の行った本件株式等の取引は所得税法上の事業には該当しないと判断し,昭和56年,昭和57年及び昭和58年中の株式等の取引から発生した損失について他の所得との損益通算を行わなかったのは正当であり,所論にかんがみ検討しても,原判決のその点の判断過程に理由不備あるいは理由そごの誤りがあるとは考えられず,また原判決の右結論に事実誤認もしくは法令適用の誤りがあるとは認められない。論旨は理由がない。
…以下省略…